お散歩ログ

OLYMPUS PEN EP-7 と一緒に歩いたログです

好きなものだけ言葉にしたい

 好きなものだけ言葉にしたい。私はカレーが好きだ。こだわって自分で作るカレーも好きだし、蕎麦屋インドカレーも、安価な八重洲地下街のアルプスのカレーも、日乃屋カレーも、全部好きだ。

 SNSから切っては離れることができない昨今、自分のこととは関係ない、相当遠い出来事に憤り見ず知らずの相手に直接攻撃的なリプライを付けることが出来る。でもそのことにどんな生産性があるというのだろう。きれいごとかもしれないがもしその人が目の前にいたとして同じことを直接言えるのだろうか。もちろん直接言えないことを言う自由も私たちは持っている。しかし反対に自分がその攻撃にさらされたらどのような気持ちになるのだろうか。

 先日、神職の方とお話する機会があった。これまでお天道様に見られているから誰かに見られていなくても正しく生きる必要があるという束縛的な規範が無くなり、白日の下に罪がさらされなければ何をやってもいいという自由が広まっているのではという話になった。確かにSNSではそのような傾向が強いと感じる。

 一方で、いわゆるネトウヨとされる人々が左派の誤謬を指摘するにあたり、過去からの自身の言葉に縛られ、二律背反を避けるあまりに徐々にリベラルになっていく傾向がみられる。フェミニズムに関する話題や萌え絵などがまさにそれに当てはまる。逆に左派的な傾向がある人々がネトウヨ的な発言に反していくことで、徐々に純潔保守的になっていくという倒錯したSNS言論世界が広がっている今、少しずつ変わり始めている萌芽を感じるのだ。

 団塊の世代が徐々に引退。そのジュニア世代は氷河期世代でもあったため主役になれずに次の世代に主役が移ろうとしている。私はその世代に期待をしているのである。

 好きなものだけ言葉にして、他者を傷つけずお互いを高められるようなきれいごとのような世界が今は必要なのではないだろうか。